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宮廷文化を継承するひな人形を「有職雛」と称します。御所の有職の家柄である京都の山科家・高倉家によって宝暦・明和年間(1751~72年)に作られたと伝えられています。有職故実に基づき、お顔の彫りから衣装に至るまで、すべて有職に即した優美華麗な姿が特徴で、ひな人形の正統となっていきます。たとえば、和宮様が数えで十三歳(安政5年・1853年)の時に、御所からひな人形が贈られていますが、これも先に述べた山科家・高倉家によって作られたものです。江戸時代には諸藩の藩主たちにとってもひな祭りは大切な行事となり、公家の「有職雛」を模した「大名雛」を飾りました。やがて、家臣たちもひな人形を求めるようになり、その多くは「京風雛」と呼ばれました。
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